コリン堂工作ブログ

模型工作について延々と書いています。最近は木造電車や70系客車を主に作っています。 shop https://kowrinmaki.handcrafted.jp/

2019年07月

車体を乾燥させている間にダブルルーフの上部を作ります。写真のように舟型に組み、接着剤で接着。裏から墨汁を塗ります。これは遮光と補強を兼ねています。

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レーザーの彫刻に従って折って、、、
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接着剤で舟形に。

車体を乾燥させたのち、ダブルルーフの下層部分を丸めて癖をつけ、上面に墨汁を塗って、乾いたら車体と接着します。
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次に、ダブルルーフの上部と下部を接着します。箱型に組んだダブルルーフの上部の紙の断面にのせるように接着剤を付け、車体とくっつけたダブルルーフ下部と接着します。この時、接着剤が多すぎるとはみ出してみっともなくなるので慎重に。このとき、下部にレーザー刻印で2本線が引いてあるのでそれを位置合わせに活用します。
車体カーブに沿うように屋根の下層をマスキングテープで止め、さらに上層を固定するようにマスキングテープで固定します。ここの過程は、接着剤の乾きとの勝負なのでなるべく手早く済ませます。
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この状態でしばらく置いて乾燥させます。

こちらが、機械から取り出した直後のペーパーキットです。デハ6310の両面です。厚いものと薄いものの2種があります。また、写真では1両分ですが、同様の車体を持つクハ6410も同時製作するため、2両分あります。
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切り出した紙のうち、最下層になるものを除いたものの裏面にスプレーのりを噴霧し、積層します。これを側面、妻面、前面で行い、4枚の板にします。
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その後、GMの板キットのように側面と妻面、側面と顔面を直角にボンドで接着。L字型に接着した後にロの字型に組み上げます。
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次に、これをマホガニーサーフェイサーで下地処理した後にぶどう色1号で塗装。
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乾燥させます。以下次回

今回は説明回になります。

次回から、デハ6310系列を作っていくので実車紹介をします。

デハ6310系列とは、鉄道院、及び鉄道省時代に在籍した直流用電車ののうち、デハ6310形、デハ6380形、クハ6430形、サハ6410形を総称したグループです。

 デハ6310系列は大正3(1914)年度から大正8(1919)年度にかけて製造されました。本系列は、顔面が平妻非貫通の3枚窓、側面は片側3扉ですべて引戸というスタイルでした。3扉デッキなし、全室ロングシート、つり革網棚ありという現在の通勤電車とほとんど相違のない基本スタイルでした。また、明り取りのためのモニター窓を装備したダブルルーフが全長にわたっています。本系列は当時電車運転されていた中央線、山手線で共通運用する車両として製造された、国有鉄道としては初めての標準型として量産された電車です。したがって、これより前に少量生産された電車群もこの系列と同様のスタイルに改造されました。大宮の鉄道博物館に保存されているナデ6110も、同様の改造を受けているため、デハ6310系列のスタイルは大宮で今でも見ることができます。

デハ6310
 基幹系列となる、中央、山手線用の三等電動制御車です。両運転台車であり、大正4,6,7,8年度に54両が量産されました。当初はトロリーポールによる集電でしたが、途中からパンタグラフに切り替えられています。大正14年の、50(PS)電動車の使用停止により、全車がサハ6410に編入されました。

サハ6410
 同じく中央、山手線用の付随車です。この頃、第1次世界大戦が勃発し、電装品の輸入が途絶。当時、日本は電装品の供給を欧州からの輸入に頼っていたため、付随車として落成しました。大正4年度に2両が製造されています。

デハ6380
 中央、山手線用の三等電動制御車です。大正5年新宿電車庫で火災が発生。配属されていた電車20両が焼失しました。しかし、当時電装品は国産化されておらず、輸入に頼った貴重品でした。そこで、焼け残った電装品と新造車体を組み合わせて本形式が製造されました。車体こそデハ6310と同様でしたが、下回りは完全に焼失車の流用だったため、電動機、制御器、ブレーキ方式も雑多でしたが、前述の標準化改造で下回りも統一されました。大正14年の、50(PS)電動車の使用停止により、全車がサハ6410に編入されました。

クハ6430
 中央、山手線用の三等制御付随車です。デハ6310を片運転台の制御車に改造して誕生しました。大正14年の、50(PS)電動車の使用停止により、全車がサハ6410に編入されました。


デハ6310系列の一族

また、サハ6410は昭和2年の改称により、サハ6と19に編入されました。サハ6形とサハ19形に分かれた理由は制御電圧の差異であり、サハ6形はモハ1形との連結用の600V、サハ19形はそれ以外の電動車との連結用の100Vでした。
サハ6に関しては、モハ1の引退に伴い、廃車や改造などの処分を受けました。一部はサハ19に改造、一部は貨車(ワ50000、ワフ20000)に改造されて消滅しました。
またサハ19は救援車や事業用車、配給車、あるいは気動車(キクハ16800)にも改造された他、私鉄(青梅電気鉄道、富士山麓鉄道、鶴見臨港鉄道)にも譲渡されました。しかし、サハ19は戦時中の資材不足も手伝って大方は戦後まで生き残りました。

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