コリン堂工作ブログ

模型工作について延々と書いています。最近は木造電車や70系客車を主に作っています。 shop https://kowrinmaki.handcrafted.jp/

2018年10月

オハ71について

 

 オハ71とは、戦災復旧客車70系客車のうち、20m級客車、又は電車から復旧された20m級客車のことを指す。全てが不足する中のひっ迫した需給状況から誕生したので、長距離乗車の乗り心地などはまったく考慮されず、ただ運べればよいという思想の元誕生しため、全車板張りロングシート、天井板なしで垂木丸出し、ベンチレーターも削減されていた。そして客車としては常識外れのデッキなし3扉仕様が基本であった。

 しかし、戦後に生産能力が復活するにつれ、このような急ごしらえの車両は運用、旅客両方から嫌われたため、早々に荷物車などの事業用車に改造されていった。その結果、数年間しか活躍期間がなく、戦後生まれのくせにぶどう色2号時代を迎えることなく消えるという可哀そうな運命をたどる。

 

オハ71には主に2種類の番台区分があった。

0番台:焼失した客車、電車のうち焼け残った台枠、台車などを利用。車体を新調した上で載せ替えたもの。板張りロング、3扉が基本であった。しかし、図面通りに作られた例は少なかったよう。

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500番台:被災具合の少なかったスハ32、オハ35系客車をもとにして改造された車両。窓割などにおいて種車の面影を強く残していた。種車がスハ32、オハ35かによって外見が大きく異なる。板張りロング、4扉が基本だった。

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両者とも、戦後の混乱期に生まれ、消えたため写真がほとんど手に入らない、、、



2018/12/29追記

70系客車の概要

  太平洋戦争中、日本は末期の連合軍による本土爆撃や機銃掃射等によって多大な被害を受けつつも、終戦時まで列車の運行は継続されていた。しかし、当時の鉄道事情は散々なもので、線路は削れたまま交換は不十分、徴兵によって熟練工は不足、本土爆撃や機銃掃射によって損傷、焼損した客車、電車はそのまま廃車手続きだけされて留置されていた。戦争中に被災し、廃車された客車は2228両にも上るとされ、これは当時の鉄道省保有の客車の19.2%にもあたる。

 戦争終結後、戦時統制が撤廃され、日本は復興へと動き出した。しかし、軍用列車、貨物列車が主体であった戦時下とは対照的に、疎開復帰や復員、食料買い出し等によって、旅客需要はうなぎのぼりとなった。その旅客需要に被災を運よく免れ、かつ連合軍に接収されなかった客車だけでは到底賄いきれない状況に陥った。しかし、早急な客車増備が求められるも、GHQ等の政策的事情、終戦直後の生産設備と資材不足、といった経済的事情から、必要数の緊急新製は不可能であった。この時、当時の運輸省は激減した貨物需要により捻出された貨車(無蓋車含む)を客車代用とする等の苦肉の策を講じるも、安全管理上望ましくないことは火を見るより明らかであった。そして、終戦翌年の昭和21年(1946年)から、被災して廃車され、留置されていた客車、電車から使える部品は使えるだけ回収、流用して簡易構造の客車を至急量産して増大する旅客需要に対応すべく、戦災復旧客車が誕生した。当時の車両メーカーは在来車の修繕工事と新製車製造で手一杯だった。そこで、終戦で仕事を失っていた旧軍需工場や転換工場が主力となって復旧工事を行った。(本系列客車に関しては、新製ではなく復旧と呼ばれた)復旧車は、資材不足と落成を急いだ関係から車体形態や構造は千差万別であった。車内設備は、後に述べるように必要最低限度のものであったが、とにかく車両が不足していた当時においては旅客輸送に多大なる貢献をした。

 こうして誕生した戦災復旧客車は70系客車と総称される。本系列は旅客需要への対応を至上命題として製作されたため、客車としては珍しい3、4扉といった多扉、デッキの省略、オールロングシートといった通勤仕様であった。実際に、通勤用に特化した車体構造を持つ最初の鋼製客車である。また、当時の生産設備や資材不足を反映して、窓は2段窓(しかし、ガラスも不足していたため70系に限らず板張りで代用することが一般的であった。)、天井板なし(70系に限らず、灯火系は十全ではなかった)、暖房無しという特徴を持つ。

 やがて、昭和20年代後半に入ると通常の客車製造能力も回復。鋼体化客車と新製客車の新製が順調に進み、さらに東海道線の80系電車の投入によって列車が電車化されたことで客車が余剰となった。さらに旅客需要も落ち着きを見せたことで、劣悪な車内設備しか持たない70系客車は次第に旅客運用からは離脱していった。その後は事故廃車を除く全車が荷物車や郵便車に改造されて製造時には省かれていた暖房等の設備も整備され、小手荷物輸送を支える活躍をした。

昭和30年代後半に入ると粗製乱造の影響により状態が非常に悪化。さらに機を同じくして旅客列車と荷物列車の分離が行われ、輸送の合理化が図られ始めた。さらにさらに、電化区間の延伸による電車化の進展や気動車化の進展により余剰が生じた、鋼体化客車合造車の荷物車化改造でマニ60が大量に落成した。これらに歩調を合わせ、戦災復旧荷物車は第一線を退いて救援車等に一部が再改造され、全国に配備。雑多な木製救援車を駆逐して国鉄末期まで使用されていた。しかし、国鉄末期の車両整理事業で多くが解体。最後まで残ったスエ78 15も2007年に解体された。

 このように、70系客車は太平洋戦争に巻き込まれて一度は死すも、時代の要請に応じて再び蘇り、旅客、郵便荷物、と復興期に多大な貢献をした後に救援車として余生を過ごすという波乱万丈な経歴を持つグループである。

 何か面白そうな車両はないかなーと、車両のCAD図面を公開なされているサイト様を流し見していたところ、70系客車というものに目が留まった。客車のくせに4扉、同系列間でも17m級や20m級が混在、扉の数も窓割もバラバラ。おもしろそう。

 

 

資料を漁ってみる。

 前回までに車体の上下が完成したので上下を合わせて完成させます。台車を履いた床板に車体の上半分をのっけて、さらにパンタも乗っけます。

ここまでの工程で1編成分が完成。幸い部品の紛失や破損がなかったので、部品の予備用として準備しておいたもう1編成分も通常通り組み上げてしまいます。

 

こうしてできた701-1000の2編成、同じ色だとつまらないので、片方は仙台色、もう片方は盛岡色に仕上げたいと思います。

帯は塗装で吹くのは面倒なので、ステッカーで作成。実車もステッカー帯なのでちょうどいいのかもしれない。

 

それで、完成品がこちら

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近くで見るとガタが来てるところがありますが、妥協。とりあえずこれで完成にします。

 

走行は、鉄コレ動力に超軽量車体の組み合わせなので、快調。でも車体と床板を接着してないせいか揺れが激しい、、、乗りたくはないですね。

 

参照文献

1.交友社. (1993). 鉄道ファン. 386(6月号).

2.交友社. (2015). 鉄度ファン. 655(11月号).

3.交友社. (2015). 鉄道ファン. 656(10月号).

4.霊烏路車輌製造. (2017). ななまるゐち!! 霊烏路車輌製造.

※同様の記事を早稲田大学鉄道研究部部誌、Switcher2017の冬コミ号にも掲載しています。筆者は当ブログ管理人と同一であり、編集長からの許諾ももらっています。

 

 

  床下機器の設計。

床下機器も、レーザーマシンを利用してアクリル板を削り出して製作。

 

段差の種類もあまり多すぎると設計も施工も面倒なので、"削りなし"と"小削り"と"大削り"の3段階の深さで削るだけにします。

んで、701系の写真やら車両研究誌"ななまるゐち!!"とにらめっこすること数時間。

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箱状のやつの図面は完成。タンクはプラ棒から作ることに。

 

んで、削り出してきたアクリル板がこちら

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こいつを床板(ねじ穴だけ開けたただの長方形のプラ板ともいう)にくっつけて、3mmと5mmの丸棒で作ったタンク類や主変圧器の放熱部を付け加え、さらに塗装までしたのがこちら。

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連結器を接着し、台車はねじ止め、ついでに集電用のアルミ板も積んであります。

 

次回、完成。

 

 本日、前回の記事で完成させた図面に従って紙をカット。板キットができました。とりあえずは作例として更新済み1000番台仙台所属車を組みます。

途中写真が撮れなかったので、いきなりですが側面を組んだ状態の写真を。

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側面、前面ともに3枚積層+αで仕上げてあります。基本は板厚1.2mm程。

こんなかんじ

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に、"基盤+ドアの切れ目表現+表面"の3層+"シルヘッダー&ルーバー&ワンマン機器"といった構成です。

 

 で、屋根はこちら。GMの211系屋根を基本に、AU75を搭載。パンタ周りの屋根上機器も適当な奴がなかったのでプラ棒と厚紙と真鍮線から適当に自作。1000番台抵抗器の撤去後の台座もプラ板で適当に自作。更新車の特徴のさらに仙台車の特徴のダークグレーのランボードを再現。塗装でやったので塗り分けが面倒だった、、、

 

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ここまで来て、床下機器について全く考えていないことに気づく。

GMストア漁ってみたけど使えそうなのはないなぁ、、、写真をもとに自作しますか。

 

 

 

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