今回は、70系客車の余生や、その他書こうと思っていたけれど記事にうまく入れることができなかったことについて書こうと思う。

70系客車が旅客運用から離脱し、郵便、荷物車としての使命も終えた後どうなったか。主として救援車や配給車として余生を過ごした。また、いくつか面白い役目を担った車もいるので紹介する。

まずは救援車
 救援車とは災害、鉄道事故現場や除雪現場等に出動し、線路、枕木等の応急復旧資材や工作機械の保管と運搬、さらには簡易の作業員の臨時休憩所に用いられる車両である。多くの場合営業用としては老朽化した車両を用いており、70系が救援車化改造される前は木造省電、木造客車等由来の木造車両を改造した車両が用いられていた。車内のスペースは、復旧用資材と機材の積載スペース、作業員の休憩スペース、簡易厨房設備、トイレ等に使用されていた。地域や個体差もあるが、主にジャッキ、ガスバーナー、鋼材各種、枕木、ロープ、簡易クレーン、投光器等が積載されていた。
 70系客車はオエ70、オエ71として全国に配備され、旧来の雑多な救援車を駆逐。オエ70、スエ70、スエ78.スエ78は特に北海道~東北に集中配備された。

次に配給車
 オル71として、鉄道工場と車両基地間の物資輸送、鉄道用品倉庫と各駅等の業務機関の物品輸送に活躍。変わった仕事としては、北海道や東北の僻地勤務の職員への生活物資販売用途というのも。


最後にその他の用途
1)テレビカー
 昭和25年の電波三法の成立とNHKの改組の後、国内での本格的テレビ放送を前にしてNHKが国鉄から列車を借り切り、テレビ放送実験航海用の”ラジオ列車”として整備。NHKのラジオ放送開始25周年記念事業の一環として”全国巡回ラジオ列車”として国内15都市を巡回。テレビ放送の啓蒙を行った。
スヤ45+オハ71(臨時荷物車)の2両編成。1号車のオハ71にテレビカメラ2台、照明装置、映像切替器、付属送像機器を備えた仮スタジオ、2号車には受像機5台が積み込まれた。

2)長野原線準急草津用電源車兼控車
 現在は吾妻線も全線が電化され、651系電車で運行されている特急草津だが、その起源は古く昭和35年である。昭和35年、臨時準急として「草津」が上野 ~長野原駅(現・長野原草津口)間で運転を開始。使用車両は80系電車であった。しかし、吾妻線の電化は昭和42年である。では、どうやって電車を非電化区間にまで乗り入れさせていたのかというと、蒸気機関車に牽かせていたのだ。しかし、そのままでは連結器の関係や(機関車と電車では連結器が異なる)電車のサービス電源で不具合が生じる。そこで、当時余っていたオハユニ71に白羽の矢が立った。片方の連結器の交換と発電機の搭載改造の上、電源車兼控車として電車と蒸気機関車との間に連結して運行されたのだ。


3)イベント列車として
 戦災復旧客車最後の1両であり、かつ国鉄末期においては本線走行可能な唯一の3軸ボギー台車装着車両であったことから、スエ78-15は廃車されず、JRに保存運転用として引き継がれた。JR東日本高崎車両センターに長く車籍を有していたが、2007年に除籍。また、台枠に致命的な亀裂が発見されたことから2008年に解体された。これが最後の70系客車であった。
 また、小樽市総合博物館にスエ78-5が静態保存されている。